2021ふりかえり:現代アートプロジェクトでの対話型鑑賞

自身の考えを発信することが減っている気がしたので、2021年のふりかえりとして、対話型鑑賞ファシリテーターAdventarに登録し、記事を書かせてもらうことにした。Advent Calendarは、クリスマスまで1日1つ穴を空けながら楽しむカレンダーで、Adventarはそれに習い、テーマを決めて、12月1日から25日まで1日1つ、みんなで記事を投稿していくという企画だという。

大地の芸術祭 対話型鑑賞プログラム

今年取り組んだプロジェクトで大きなものとしては、京都芸術大学アート・コミュニケーション研究センターで担当した「大地の芸術祭 対話型鑑賞プログラム」である。9月から11月にかけて、オンラインと現地実習を組み合わせ、大地の芸術祭のスタッフ向けに、対話型鑑賞のファシリテーションの考え方について伝える研修を行った。研修の全体デザインとレクチャー部分を僕が、対話型鑑賞のデモンストレーションやワークショップを研究員の春日美由紀さんが担当し、ファシリテーション実践の指導は2名で分担して行った。

公式のレポートは京都芸術大学ウェブサイトにアップされると思うので、個人的に感じたことを書いておこうと思う。

大地の芸術祭と言えば、新潟県・越後妻有地域で2000年にはじまった現代アートプロジェクトのさきがけである。大地の芸術祭スタッフのみなさんとは、2018年リディラバさんの「未来の教室~Save the 大地の芸術祭~」プログラムに参加させていただいて以来の関わりである。同プログラムでは、2018年9月から12月にかけて、ほぼ毎月、十日町市に赴いて、大地の芸術祭の持続可能性を向上させるためのプランについて考え、発表した。2019年に私が携わったあいちトリエンナーレにも、プログラム参加者、スタッフ、オフィシャルサポーターのみなさんが応援に来てくださるなど、プログラム後も断続的な関わりが続き、今回の依頼は個人的にも大変うれしいものだった。

ここ2年ほど、東京大学大学院で、対話型鑑賞についての博士論文を書いては書き直しを続けている。長い期間、論文審査に向き合う中で、コロナ禍も重なり、対話型鑑賞を実践する方々との接点が減っている気がしていた。「大地の芸術祭 対話型鑑賞プログラム」は、そんな僕にとって実践感覚を取り戻し、鑑賞することが純粋におもしろいと思える、リハビリのようなありがたい機会になった。《最後の教室》《たくさんの失われた窓のために》《遠方の声》など、懐の深い作品といくつも出会った。

現代アートプロジェクトでの対話型鑑賞

僕自身が一般向けの対話型鑑賞ワークショップに取り組みはじめたのは、2011年、東京アートビートと連携しての、ワタリウム美術館原美術館東京都現代美術館での鑑賞ワークショップだった。思い返すと、どの美術館でも現在進行形の現代アートを扱っている。2015年からミュージアムエデュケーターの会田大也さんと取り組んできた六本木アートナイト、2019年のあいちトリエンナーレは、都市型の現代アートプロジェクトである。そして、大地の芸術祭は、里山型の現代アートプロジェクトの最古参と言える。僕が対話型鑑賞で扱ってきたのはずっと、従来の対話型鑑賞では取り扱いが難しいとされる現代アートであったし、取組のフィールドは、美術館や学校教育よりも、現代アートプロジェクトだった。

今年は、無理を言って、京都芸術大学アート・コミュニケーション研究センターの伊達隆洋先生による「大学生と学ぶ対話型鑑賞ファシリテーション講座」にも参与観察者として参加させていただいた。そこからの学びはこれまでのブログ記事(第1部第2部)にも書いているところだが、現代アートを深く鑑賞するためには、「他者」と「対話」が必須であろう、という点は、講座からのあらためての気づきのひとつである。現代アートは、単に美しいだけでない、多義的な内容を含むことがある。また、コンセプチュアルな作品など、視覚だけでない部分で鑑賞に織り込むことが必要な概念が存在する場合もある。こうした作品を鑑賞するためには、複数の鑑賞者から作品の多様な受け止め方を引き出し対比することと、さらに考えるための作品情報をファシリテーターが鑑賞の場に導入することが必要である。

(※ただし、これは作品にもよるところがある。現代アートの中でも、対話型鑑賞に向く作品と向かない作品はたしかにある。大地の芸術祭の作品の中でも、振れ幅がある。そして、対話型鑑賞に向かない作品が、現代アートとして優れていないわけではない)

対話型鑑賞の中で作品情報を出すべきか、出さざるべきか、といった議論は以前からあり、僕も情報提供のあり方について論文を書いたことがあるが、要は対話型鑑賞を対話型鑑賞だけでデザインしないことが肝要と考えている。僕は学習環境デザインの研究室に所属しているためか、以前から対話型鑑賞をワークショップの一つとして捉えているところがある。30分程度の鑑賞時間の時間軸で情報を出すか出さないかを議論しても仕方がない。現代アートプロジェクトにおいて、従来のあり方で立ち行かないのであれば、対話型鑑賞の考え方を使って、オリジナルなワークショップを作っていけばよいと考えている。このあたりは、博士論文を書き上げた上で世に問いたいと思う。