対話型鑑賞ファシリテーション講座から考えたこと(1)

ACOPが昨年度からオンラインで実施している「大学生と学ぶ対話型鑑賞ファシリテーション講座」第1部に、共同研究者として参加させていただいた。7月10日〜11日の2日間で、ファシリテーションを学ぶ以前に必要な、鑑賞者として美術作品をよりよく対話型鑑賞するための理論と実践について紹介された。

ここでは、講座の内容を紹介するというよりも、講座にインスパイアされて僕が考えたことを残しておこうと思う。

美的発達段階について

1日目の冒頭には、対話型鑑賞の背景理論として、1980年代アビゲイル・ハウゼンの美的発達段階の考え方が紹介された。対話型鑑賞における「作品の中で何が起こっていますか?」「どこからそう思う?」といった問いかけの背景には、鑑賞者がどのように美術作品を理解するかに関する理論的モデルがあることは、十分に理解されていない場合もあろう。

レクチャーで触れられなかった部分で、ハウゼンが美的発達段階をどのように見出したかと、美的発達段階のどの段階の鑑賞者がどの程度いるか、という点は補足する必要があるかもしれない。ハウゼンは、博士研究の中で、100名程度のさまざまな年齢・職業の実験参加者に、美術作品を見せて自由に語ってもらう形式のインタビューを行った。その中で見いだされたのが、5段階の美的発達段階である。下記の図は、ハウゼンの博士論文からの引用で、年齢ごとの美的発達段階を散布図として表したものである。低年齢層に美的発達段階I〜IIが多いことはたしかだが、成人であっても美的発達段階にかなりのばらつきがあることが示されている。ハウゼンの研究では、発達段階Vの鑑賞者は、50代以上の数名しかいなかったのである。


↑美的発達段階の年齢別分布(Housen 1983)

なお、ハウゼンの研究の背景には、当時ハーバード大学で行われたプロジェクト・ゼロ(芸術教育の認知科学プロジェクト)の影響がある。プロジェクト・ゼロの創始者の一人は認知心理学者のハワード・ガードナーであり、ハウゼン自身もガードナーの影響を強く受けたことを博士論文の中で述べている。ガードナーは芸術を複合的な知能を働かせるものと考えたため、多重知能理論に「美術的知能」は存在しないが、美術鑑賞という領域における発達段階があるのではないか、という仮説には、ガードナーの影響が見られると言えよう。

「美的発達段階は高いほどよいわけでは必ずしもなく、物語の段階にも豊かな物語がありうる」と講師のコメントがあったように、第1段階の中に多様な段階がありうること、第5段階があまりに高度であること、など、美的発達段階の理論に不足がないわけではない。重要なことは、鑑賞者の発話を具体的なデータとして、鑑賞に関する理論的モデルを仮設し、それに基づいて鑑賞者の発達を見出し支援しようとした試みにあると言えるだろう。

アクティブラーニングのレベルについて

1日目のレクチャーでは、対話型鑑賞VTCが10回のカリキュラムとして設定されていたこと、VTSも学校の授業として複数回の鑑賞経験を積むことが前提とされていること、等が紹介された。対話型鑑賞とはあくまで手法であり、その手法を取り入れるカリキュラムやプロジェクトのねらいがあるはずだ、という考え方である。

これを聞いて想起したのは、アクティブラーニングのレベルの考え方である。レベル1は、知識の共有と反芻に関するもので、授業の最後にミニットペーパーを活用するなどの、ミクロな工夫のレベルである。レベル2は、相互教授(学び合い)や協調学習など、1回の授業として葛藤と知識創出を引き起こすために授業をどのようにデザインするかというレベルである。レベル3は、複数の授業を通じて、学習者が問題を設定し、その解決を行っていく中で学んでいくというレベルである。

対話型鑑賞のファシリテーションをどうすべきか、情報を出すべきか出さざるべきか、という視点は、アクティブラーニングのレベル2の段階と言えよう。対話型鑑賞は手法であり、対話型鑑賞を取り入れるカリキュラムのねらいがあるはずだ、という考え方は、アクティブラーニングのレベル3のねらい(1回限りの美術館のギャラリートークなのか、複数回ある授業のカリキュラムや企業研修なのか)によって、レベル2でどのようなファシリテーションを行うべきかは変わる、との指摘と言えるだろう。


↑アクティブラーニングのレベル(山内2019)

なお、ACOPは対話型鑑賞のプログラムという側面もあるが、対話型鑑賞を通じた学生教育という側面もある。前段に着目すれば、アクティブラーニングのレベル2の取組と言えるが、後段に着目すると、学生が対話型鑑賞のファシリテーションに取り組むことを通じて、アートプロデュースのための考え方やスキルを学ぶアクティブラーニングのレベル3の取組と言える。参加者にとって、関心がある/学びたいのはアクティブラーニングのどのレベルの実践に位置づくのか、あらためて意識化することが必要だろう。

鑑賞における「問い」の連鎖について

2日目には、対話型鑑賞を深めるための「問い」について解説された。ここで詳細を述べることは控えるが、鑑賞者の意見は作品に対するある種の「自問自答」であり、鑑賞を深めるにあたっては、それがどのような「問い」に基づく「答え」なのかを意識する必要がある、という考え方である。

ここから想起されたのは、教育哲学者デューイによる探究のプロセスである。デューイは自身の理論を図示していないが、後年になって組織社会学者のデイヴィッド・コルブがデューイの探究学習のプロセスを図式化している。

どのような探究も、意識的にせよ無意識的にせよ、学習者を突き動かす衝動(impulse)からはじまる。続けて学習者は、対象の観察(observation)と、過去の経験に基づく知識(knowledge)の探索を行い、それらを総合して判断(judgement)に至る。その判断が、次の衝動を内的に湧き上がらせ、探究のサイクルにつながっていく、という考え方である。


↑コルブによるデューイの探究プロセスの図式化(Kolb 1984)

美術作品を鑑賞したときに見いだされる「問い」とは、ここで言う「衝動」に近いものではないか。そして、対話型鑑賞における鑑賞者の意見とは、作品を構成する要素について探究したいという「衝動」に基づいて、自身の「知識」と作品の「観察」を総合して至った「判断」と言えるのではないだろうか。

他領域における探究と異なる点は、美術作品そのものに決まった「問い」があらかじめあるものではなく、鑑賞者によって見いだされるという点である。そして、鑑賞者によって、どのような「知識」を持っているか、どのような「衝動」を持ちうるかが異なるため、対話型鑑賞では毎回違った鑑賞体験が生まれる。一方で、「観察」対象としての作品は明確にそこにあるため、鑑賞者同士の対話をつなぎとめるアンカーの役割を果たす。

近年、対話型鑑賞から探究型鑑賞へ、というキーワードが一部で聞かれ、MoMAでもArts & Inquiryというプログラムが行われるようになっていると聞く。対話型鑑賞における「問い」に基づく探究がデューイの探究の考え方につながることは自然なことであり、よい鑑賞(よい対話型鑑賞)はもともと探究型鑑賞を含み込んでいると言えるだろう。

参考:
Housen, A. (1983). The eye of the beholder: Measuring aesthetic development. Harvard University.
Kolb, D. A.(1984)Experiential learning: Experience as the source of learning and development. Prentice-Hall, Inc, Englewood Cliffs, NJ.
山内祐平. (2019). 教育工学とアクティブラーニング. 日本教育工学会論文誌, 42125.