学芸員は「文化財であること」を最後まで守り抜くべき


どうやら発言は撤回されたようだが、撤回されたからなかったことにという話ではない。社会にそういう心性の人は少なからずいるということが明らかになったのだから、きちんと考えを表明しておきたい。はからずも世間が注目してくれたタイミングで、これを政治の道具にするのではなく、本質に関する有意義な議論がなされるといいと思う。

「学芸員はがん。連中を一掃しないと」 山本地方創生相
http://www.asahi.com/articles/ASK4J5R1QK4JPTJB00H.html

「新しいアイデアに、学芸員は『文化財だから』と全部反対する。学芸員だけの文化財ではない。『一掃』は言い過ぎたが、観光マインドを持って観光客に説明することを理解してもらわないと困る」

山本地方創生相「一番のがんは学芸員」と発言
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20170416-OYT1T50098.html?from=tw

「文化財に指定されると、部屋で水や火が使えず、お花もお茶もできない。バカげたことが行われている」

僕は「文化財であること」は学芸員が最後まで守り抜かなければならないことであると思う。モノは放っておけば劣化し消滅に向かう。その前提を守らない文化財活用などない。博物館法に規定されているように、博物館の機能として収集保管・調査研究・展示公開・教育普及があるというのは大学の授業でもやられていることだが、この順番が重要で、しっかりと保管されて、研究がなされていることが担保されてこその展示であり普及である。

そのモノが文化財であるかどうかを決めるのは学芸員ら専門家の研究である。博物館ではモノそのものが貴重なのではなく、モノに情報が付加されているから貴重なのだというのは、国立民族学博物館館長を務めた梅棹忠夫氏がずっと主張してきたことである。モノはそれが博物館から散逸した瞬間に価値が極端に下がる。モノに付加された情報が失われるからだ。これは、近年中東地域の博物館が過激派に襲撃されるというニュースをみて実感したことでもある。

僕も「学芸員が観光マインドを」ということ自体は否定しない。文化財を一部の人で囲い込まず社会に開くべきという主張ならばおっしゃるとおり。ただ、文化財を後世に残すために守るべきラインはある。日本の美術作品は紙を支持体としていることが多く、油絵や彫刻と違って劣化のスピードが早い。四季があり高温多湿の環境下で「広く一般に公開」というのは難しい。日本美術の展示室が寒かったり薄暗かったりするのには理由がある。その前提を理解しないで文化財活用などありえない。

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