大学入試「思考力を問いたいから記述式だ」は短絡的かも?


大学入試センター試験後継の試験について各大学が採点を担うかもって言う件、大学関係者の脊髄反射的な拒否反応も見かけるけど、この改革をもって初等中等教育において知識・理解よりも思考・判断を重視しようぜ、という流れがあることをきちんと押さえたい。今後の社会においては知識・理解よりも思考・判断の力が問われることはそんなに異論ないと思う。高度成長期のような社会の発展を前提とできない以上、答えが一つでない問題に対して自分の頭で考えることが何より大事だというのはたしかにそう思う。

これを受けて、マーク式で正答が一つに定まるセンター試験ではなく、記述式を取り入れた大学入試をという議論がずっとされてきた。ただ、記述式の採点というとどうしても人の価値判断が含まれるため、困難がつきまとう。AIを用いて採点支援をという話題も出た。記述式問題を含みつつ、小6・中3の110万人が受験する全国学力調査が、4月に実施して8月に結果提供というスケジュール感であることを考えると、50万人が受けるセンター試験を1月に実施して1,2週間で結果を返すというのがいかに無理ゲーであるかということはわかるだろう。

で、大学入試のスケジュール感に合わせようと思うと、1,2週間でぶれなく採点できる記述式問題なんてたかが知れており、数百文字ではなく数十文字で書けて、解答のバリエーションが多くない(つまり、おもしろくない)記述式問題にならざるを得ない。先日国大協から案が出たように、各大学が2次試験の結果通知までに採点すればよい、という形にすることで、問題の内容も豊かにできる=おもしろい問題が作れるし、採点の期日も遅くできる。また、大学ごとに対応を分けることができるので、採点基準を統一する必然性もない。

もちろん一方で、それって共通試験である大学入試センター試験後継の試験が担うべきなのか?という論点はある。これまでも、大学ごとの2次試験においては特色のある記述式問題がすでに問われている。課題となってくるのは、新しいセンター試験と大学ごとの2次試験の「役割分担」なのではないかと思う。センター試験は多肢選択式で答えが一つだから思考力を問うていない、というのは、問題を見ていない人の決めつけだと思う。センター試験にはいい問題がたくさんある。記述式を取り入れることで、いったいどのような「思考力」を問いたいのかを、きちんと言語化する必要があるだろう。

「記述・論述式問題による思考力評価」「複数回チャレンジOK」といった、実運用的に負荷の高いことをやろうとするなら、こうしたことは現実的には小中高での日々の教育実践の中に埋め込むしかないのではないか、とぼんやり考えたりもする。教育へのテクノロジーの導入は、教師が授業支援に使うというところは本丸ではなく、そこで蓄積するデータを評価にどう使うかというところが重要だと思っている。テクノロジーがなければ見取ることができなかった学習者の様子を、教員の負担なく見取ることができるはずである(いわゆるアダプティブラーニングである)。

アクティブラーニングの評価はどれもそうだと思うが、ルーブリックによる(パフォーマンス)評価がどうしても求められるであろう記述・論述式問題は、学習者にとって身近な教授者が評価し、それをその後の学習に活かすという点がきわめて重要だと思う。これをハイステークスな試験に適用することが、そもそも可能なのかどうか。なんともなんとも