芸術ってなんだ?村上隆のスーパーフラットコレクション


横浜美術館にて、村上隆のスーパーフラットコレクションをみてきた。展覧会の構成自体が、美術の仕組み、美術館の仕組みにケンカを売ってるような展示で、大変おもしろかった。

村上隆のスーパーフラットコレクション
http://yokohama.art.museum/special/2015/murakamicollection/index.html

イントロダクションとなる「日本・用・美」の部屋では、ごあいさつとともに東京国立博物館か近代美術館工芸館かとも思うような展示ケース入りの「名品」の展示を見せられ、「おっ、こういう感じか?」と身構えると、家具や雑貨、謎のオブジェなどが作品とともに玉石混交に展示される「村上隆の脳内世界」でそれがぐちゃぐちゃにされ、かと思うと「1950-2015」の部屋では結局時系列展示に戻るという、ある意味での拍子抜け感。横浜美術館によれば、村上隆の「スーパーフラット」という概念は、「平面性や装飾性といった造形的な意味のみに限定されるのではなく、時代やジャンル、既存のヒエラルキーから解放された個々の作品の並列性、枠組みを超えた活動そのものを示して」いるということで、複数の展示手法を混在させながらすべてのものをフラットしていく空間構成は、まさに村上隆の思想を体現していたとも言える。

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個人的な研究関心から、とくに痛烈だったのは「スタディルーム&ファクトリー」である。ひとつめ、デイヴィッド・シュリグリーの〈ヌードモデル〉では、たくさんの画材が準備され、「モデル彫刻を自由に描いてみよう!」という無邪気でありがちなワークショップ的アクティビティが展開され、子どもや若者が自由にデッサンをしてはそこに作品を残していく。作品は部屋の壁面に展示され、それ自体が作品の一部となっていくという、美術/教育のインスタレーションと言える。

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しかしその裏側にはもうひとつ、真珠を使ったミカ・ロッテンバーグのインスタレーション〈No Nose Knows〉がある。アジアの工場で真珠の選別作業を行う労働者の姿と、オフィスで花粉を吸いこんでくしゃみをしては種々のパスタを生み出すという謎の労働をする女性の姿が交互に現れ、不条理とも思える世界観を悲しくもおかしく提示する。

シュリグリーとロッテンバーグのインスタレーションを合わせて鑑賞すると、芸術を教育すること、芸術を生産することの無意味さ、不条理さを提示しているとも考えることができる。「モデル彫刻を自由に描いてみよう!」と言いながら、裏で「それって意味ないよね?」と言っているようなものだ。二つのインスタレーションの脇には、村上隆がオークションで落札したという、アメリカ人が食事中に偶然発見した真珠一粒もこじんまりと展示される。いったい(芸術の)価値とは何で決まるのか。そういう意味で、芸術ってなんだ?という問いがあふれ、その問いにストラグルし続ける村上隆の姿が見えてくるような展示だった。

※展覧会は終了しています。