目が見えなくてもアートはみえる?まれ美ラボ #2


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1月23日に「まれ美ラボ」の第2回を開催した。まれ美ラボは、対話型鑑賞イベント「まれ美:まれびと美術館」の実験的イベントラインであり、東京大学の安斎勇樹さん、NPO法人Collableの山田小百合さんとの共同主催、「視覚障害者とつくる鑑賞ワークショップ」の協力による企画である。視覚障害のある木下さんと一緒に、3作品について対話をしながら鑑賞した。当日鑑賞した作品と、コンセプトは以下のとおり。

■顔:世界とのインタフェース

眉間にしわを寄せて何かを見据える男性の彫像。上を向いた目からは意思の強さ、理想の高さも読み取れるが、深い影からは彼自身のほの暗い側面もみてとれる。経年変化による傷は、彼の戦いの傷跡にもみえる。20代前半にしてローマ皇帝となった彼の、視線の先に映るものとは。(作者不明《カラカラ帝》)

暗闇の中から、あめ玉のようなものをくわえて上目づかいでこちらをじっと見つめる子ども。赤い髪と白い肌、穴だけ描かれた鼻、眉のない目から、読み取れる表情は一様でない。みているうちに私たちは、いつの間にかこの子に自らのイメージを投影していることに気づく。(奈良美智《Candy Blue Night》)

粗いタッチで描かれた、帽子をかぶり筆とパレットを持った人物の像。ピカソが90歳のときに描かれた自画像と言われるこの作品のタイトルは《若い画家》。最小限の点と線で表現された表情は、笑っているようにも泣いているようにも見える。(パブロ・ピカソ《若い画家》)

私たちが日々あまりにも見慣れている「顔」が、さまざまなことを語りかけてくる。カラカラ帝の表情がローマ帝国の皇帝という社会的地位によっても形作られていたように、Candy Blue Nightに描かれた子が私たち自身の思いを反映する鏡のような存在であったように、90歳のピカソがこの年齢にして子どものような自画像を描いたように、「顔」とは、自身の内面を表すだけでなく、外部とのインタラクションによって“つくられる”ものでもあるのかもしれない。

この実践については、発話データの分析後、3月の美術科教育学会大阪大会にて発表予定である。対話型鑑賞について、ワークショップデザインの専門性、特別支援教育の専門性からどのように記述されるのか、僕自身も楽しみにしているところである。(そういえば、視覚障害のある方はどんなふうに人の「顔」を認識しているのだろうか…)

※参考文献

目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)
伊藤 亜紗
光文社 (2015-04-16)
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